河野涼

#05:ついに掴んだ、”自分の領域”

No.01 日本の伝統工芸を世界に。挫折を乗り越えた若手起業家の挑戦。

日本の伝統工芸を世界に発信するメディア、meets newを経営する若手起業家、河野さんのインタビューの#05です!
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自分のやりたい事から事業を考える

– 晴れてJapan Madeを責任者として立ち上げたわけですが、その創業秘話をお聞かせ願えますか?

自分が責任者として事業を立ち上げるなら、”自分がやりたい事”を事業にする事は、最初から決めていました。

僕がやりたかった事とは、”東京に集中している様々なカルチャーの背景を伝える”事でした。

これは、”物事の背景を知る事は楽しい”という僕の想いに由来します。

人にも物にも、それが生まれ、今そうなっている理由、すなわち、背景やストーリーが必ず存在します。

僕は、何も知らずにその料理を食べるより、その料理がどのように生まれ、どのような想いで提供されているのか知ってから食べた方が、何も知らないよりずっと美味しいし、体験の質、幸福度が高いと考えています。

背景をきちんと理解しないと、その人や物の価値をちゃんと理解できないと思うんです。

例えば、ただNIKEのスニーカーを履くのと、NIKEがどのように生まれ、実は日本ととても縁が深いブランドだと知ってから履くのは、ちょっと幸福感が変わりませんか?
それはNIKEというブランドが持つ、あなたに対する価値が高まっている事なんだと思います。

※NIKEは元々、日本のオニツカタイガー(現アシックス)の輸入販売業から始まった。更にNIKEが資金難のときに融資し、会社を救ったのは日商岩井(現双日)。更には日商岩井の紹介で、福岡の日本ゴム(現アサヒシューズ)の工場で初のシューズ生産を始める等、日本との深い縁がある。

僕は元々食事やファッション、音楽といったカルチャーが大好きでした。
それが集中しているのが東京です。

東京は本当に多様なカルチャーがある街で、掘り下げれば掘り下げるほどその本質的な価値を発見できて、新しい東京が発見できてとても楽しい。

それなのに、大半の日本人は東京のごく一部しか知らないわけです。
もちろん旅行で東京を訪れる外国人はもっと知らない。

例えば、東京の一蘭って外国人が並んでめっちゃ混むじゃないですか。
あれが不思議で。もっとうまいラーメンやたくさんあるのになぜ?って。
当時僕は情報が偏っていて、本当にうまいラーメン屋が見つけられないんだろうって思ったんです。
また、東京の4割が実は森林だって意外と知らないでしょ?

こういう、外国人だけじゃなくて日本人もあまり知らない東京を発信するメディアを創るというのが最初の事業アイデアでした。

河野涼
河野涼|Ryo Kawano。明治大学商学部卒業後、新卒でオプト入社。社会人3年目の2016年には新事業としてJapan Madeを成功に導き、2018年に独立。現在はmeets newを経営。河野さんのTwitterはこちら

背景を掘り下げるメディア

– そうだったんですね!しかし、東京からどのようにJapan Madeにつながるのでしょうか?

このメディアの事業化について検討を進めていたのですが、やはり東京に絞ってニッチを掘り上げていっても、スケールしないし、収益性が懸念点として浮かび上がりました。

そこからは、社内会議に何度もかけて企画をブラッシュアップしました。

東京やカルチャーに制限しすぎるとスケールしないなら、”物事の背景を伝えたい”という僕の根底にある想いに戻り、メディアに取り上げる題材について議論しました。

改めてこの視点から考えた結果、最終的に日本の職人にフォーカスすることになります。

このあたりからは会社で仲間たちと議論する中でそうなっていったので、僕が考えて決めたというわけではありませんでした。

このような結論に至った過程には、僕が所属していたグルーバーのDNAが強く反映されています。
グルーバーは元々、努力した人、頑張って良いコンテンツを作った人が報われる会社を作りたいという創業者の想いで立ち上げられました。

動画でも記事でも写真でも、良いコンテンツを作るにはそれなりの時間とお金がかかり、とても労力がかかります。
しかし現実には、そういう良質なコンテンツってあんまり儲からないんです。

逆に、SEO対策ガチガチにやって、コンテンツ自体は安く外注して広告まみれの記事のほうが収益性が高い事が多い。
※SEO対策:Googleの検索で順位が上に来るような対策の事。PV(Page view。ページへのアクセス数)を稼ぐ事に特化したサイトをここでは指している。

この頑張って作ったコンテンツが報われない悲劇を変えるために、グルーバーでは読了率等、コンテンツの中身の質にフォーカスして事業を行っていました。

日本の職人さんってめちゃくちゃ技術があって質が高いものを作っているのに、あまりうまく世に広められていないと思ったんです。
伝統工芸がどのように生まれ、現在に至ったのか、その背景を訴求する事で、解決できるのではないかと。

そして”何かを極めたい”、”誰にも負けない自分の強みを作りたい”と思っていた僕にとって、職人さんはまさに”その道を極めた人”そのもので、とても魅力的だったんです。

このような経緯で、Japan Madeを事業責任者として立ち上げました。

– 背景、ストーリーを追い求める様になったルーツはなにかあるのでしょうか?

あまりちゃんと考えた事はなかったんですが、おそらく母にルーツがあるんだと思います。

僕の母は高卒だったんですが、賢かったし、知識がすごかったんです。
本をものすごいたくさん読んでいて、インプットの量がハンパない。

クイズ番組とかバシバシ答えててすごかったんです。笑

子供の僕がこれ何?と聞くと、絶対教えてくれなくて、いつも”自分で調べなさい”だった。

極めつけはクリスマスプレゼントです。
辞書や図鑑のプレゼントが多かったんです!笑
当時はめちゃくちゃ嫌でしたけど、今では本当に感謝しています。

更に、前回お話したとおり、僕は小学生の頃からネット少年だったので、インターネットですぐに調べていました。

この母親の教育とインターネットの重ね技で、僕も調べグセがすごくなりました。
何か気になるとなぜそうなったのか、どういう経緯があるのか知らないと気がすまない。

背景やストーリーを重要視するのは、この母の教育にルーツがあるんだと思います。

写真

ほぼ独力で5社コンペで勝利

– それからどのように事業を立ち上げたのですか?

2016年8月に事業を立ち上げ、そのタイミングで経費でカメラを買いました。

というのも、コンテンツの拡散性を高めるためには動画が一番良い事が経験的にわかっていたからです。
そのため、Japan Madeは動画メディアにする事を前提に設計しました。
この動画を撮影するためにカメラが必要だったんです。

SNS等を使い極力コストを掛けずに運営し始めました。

そして2017年2月にはじめての広告案件を獲得でき、売上を計上しました。

当然会社としては、新事業に対して、ユーザー数や広告案件をXX件獲得等のKPIがありましたが、着々とこなしていました。
※KPI:Key Performance Indicatorの略。ざっくりいうとノルマようなもの。会社の経営目標を分解し、各部署や個人等に割り当てられた数値。

苦労はありましたが、立ち上げは結構順調でした。
僕が責任者だったので、自分のペースで働く事も出来ていましたし。
公私共に充実していたと思います。

– それからどのように拡大したのですか?

2017年8月、ちょうど立ち上げてから1年のタイミングで転機が訪れます。
大手の広告代理店も含めた5社でのコンペがあったんです。

それにグルーバーとして参加する事になり、僕が責任者としてコンペの準備を進めました。
この頃には立ち上げを手伝ってくれた女性の先輩社員はもう離れており、社長が一緒に戦略を考えてくれつつも、ほぼ独力で準備しなければならない状況でした。

準備は大変でしたが、1年目の反省を活かし、決してオーバーワークせず、自分のペースで働く事を心がけていました。

そして、勝ったんです。

この1件で数千万円の売上を計上し、一気に黒字化しました。
かかっていた経費は、僕の人件費とカメラの減価償却費だけだったので、ほぼ丸ごと利益ですね。笑

努力が報われた瞬間だったので、泣くほど嬉しかったです。
実際コンペ前は夜も眠れないくらい緊張しました。

勝ったこと自体はもちろん、自分のやり方を貫いて勝てた事が何より嬉しかった。
お金や成功ではなく、自分と周りの人の”幸せ”を念頭に置いて仕事しても、いいんだって確信が持てました。

また、新規事業って何も知らないメンバーからすると、”何か楽しそうなことやってるね”とか言われる事があるんです。
こっちは全国各地飛び回って極寒の山岳地帯で命がけの経験をしているのに。
それを見返す事が出来たのも嬉しかったですね。

ちなみに、こちらがその時に制作した動画です。

ついに自分の道を見つける

– 壮大なサクセスストーリーですね…!

これは僕の中でも転機になる、大きな成功体験でした。
自分のやり方で成功したわけですし。

でもそれだけじゃなかったんです。
入社前から抱いていた”器用貧乏というコンプレックス”を乗り越え、ついに僕にとっての”自分が極めるべき道”が見つかった。
そういう意味合いもある成功体験でした。

Japan Madeで気づいた事があるんです。
僕はずっと何かで一番になってコンプレックスを乗り越えたかった。
そのためには、”なにか新しい、新規性のある事に挑戦しないといけない”と思ってやってきました。

Japan Madeでやっていた事は、逆でした。
新しい事ではなくて、古い事、過去を掘り下げてその良さを配信する事で価値を再定義していたんです。
これは僕が昔から好きだった、”背景やストーリーを掘り下げて理解する”事に紐付いています。

就活時代から、電話の件までは、僕は見栄と成功、お金等を原動力にしてきました。
Japan Madeからは、何かを極めたいという僕の願望と、背景を掘り下げるという、僕が好きな事が原動力に変わったんです。

それが重なったのが、日本の伝統工芸であり、その価値をより多くの人に知ってもらう事業でした。

20代でこれだけ日本中飛び回って職人さんとネットワークを築き、詳しくなって、本気でこの領域をやっている人って他にいないと思うんですよ。

ネット広告、コンテンツマーケティングでも一番にはなれませんでした。
でも、この道なら一番になれるって確信して、ようやく自分の事業ドメインが見つかったようで嬉しかったです。


#00:日本の伝統工芸を世界に。挫折を乗り越えた若手起業家の挑戦。
#01:将来の夢は金持ちになること。漠然と社長になりたかった。
#02:社名や規模は意味がない。就活はやりたい事を考え抜いた
#03:オプトで最初の挫折。やりたい事が出来ないときの対処法
#04:オプトでいきなり新規事業。ぼろぼろになって気づいた事
#05:ついに掴んだ、”自分の領域”
#06:選択肢を探せ。我慢するな。やりたい事を自分のペースで。