河野涼

#04:オプトでいきなり新規事業。ぼろぼろになって気づいた事

No.01 日本の伝統工芸を世界に。挫折を乗り越えた若手起業家の挑戦。

日本の伝統工芸を世界に発信するメディア、meets newを経営する若手
起業家、河野さんのインタビューの#04です!
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働きすぎてぼろぼろになる

– グルーバーではどのようなスタートだったんですか?

当時グルーバーでは、僕が4人目のメンバーでした。
なので、よくある典型的なベンチャーのように何でもやりました。

少し業務の中身に入ってしまうので、Web広告にあまり興味ない方は、ここから3パラグラフ読み飛ばしていただいて大丈夫です。笑

当時のグルーバーは、オプトのメディアレップ的な位置づけでした。
メディアレップとは、広告系の専門用語で、メディア(媒体)と広告主や広告代理店の仲介役の仕事です。

僕の主な業務は営業だったんですが、ベンチャーらしく人手が足らず、メディア側とのコミュニケーション、クライアントへの営業、広告運用まで何でも全てやっていました。

皆さんもよく知っているメディアとリレーションを作りつつ、オプト本体として仕入れられるメディアを販売していました。

この頃はとにかく、グルーバーとして売上を立てなければならず、数字をつくるが至上命題でした。

ハイプレッシャーな環境でしたね。

– ベンチャーらしいと言えばらしいですが、めちゃくちゃキツそうですね

この頃は、本当に心身共にかなりハードでしたね。

とにかく業務量が多く、終電まで仕事をして、最寄り駅近くの深夜まで営業しているカフェやファストフード店に入って仕事してるような感じです。

新会社を立ち上げ、会社として新しい事業をつくる場に、1年目のペーペーだった僕がいきなり飛び込んだわけです。

当然スキルも経験もまだ全然なくて、時間と気合でカバーせざるを得ない事が多く、非常にハードでした。

新卒で裁量が大きいとか、自分で事業を作れると言ってベンチャー企業に行きたいという学生さんはたくさんいらっしゃると思います。

僕自身もそういうキャリアを選んだので、それを否定する事はありませんが、若手で経験もスキルも無い状況で大きな事をするには、まずは時間と気合でカバーするしかありません。

そのためには、圧倒的な情熱が必要です。
この点はよく理解しておくべきですね。

そしてこの心身共にぼろぼろだったタイミングで、僕の人生を変える一本の電話があったんです。

河野涼
河野涼|Ryo Kawano。明治大学商学部卒業後、新卒でオプト入社。社会人3年目の2016年には新事業としてJapan Madeを成功に導き、2018年に独立。現在はmeets newを経営。河野さんのTwitterはこちら

一本の電話で価値観が変わる

– どんな電話だったんですか?

電話の相手は父親でした。
とある用事で父と妹とに電話をかけたんです。

当時僕は都内で一人暮らしをしており、父と妹は千葉の田舎に住んでいました。

そこで電話越しに、父がボソッと”妹と二人で食べるには、料理を作りすぎちゃった”と言ったんです。
そして、妹の何気ない、”お兄ちゃんもいれば食べられたのにね”の一言で、ぼろぼろ泣いてしまって。。。

そもそも僕が必死に仕事して稼ごう、頑張ろうと思った原体験は両親の離婚でした。
”僕が稼ぎ頭になって、家族に楽させてあげたい”との想いで頑張ってきたわけです。

それなのに、肝心の家族を蔑ろにしてきた事に気づいたんです。
”何やってんだろう俺・・・”というのが正直な心境でしたね。

自己中に自分のやりたい事や仕事に没頭した結果、そもそも頑張る原動力だった家族を始めとした周りの大切な人を蔑ろにしてしまっていたんです。

それから久しぶりに母にも電話をしました。
その電話口でもぼろぼろ泣いてしまったんですが。笑
普段僕は弱音を吐いたり、親に愚痴ったりする事がなかったので、母もびっくりしていました。

– 壮絶なエピソードですね。私もぐっと来てしまいました…。それから価値観が変わったのですか?

この件で、楽させてあげたかった家族に、逆に心配をかけてしまった事が僕にとってはショックでした。

そして、僕の中での親孝行は、お金ではないのだと考えるようになりました。
家族を安心させてあげる事が何より重要なんだ。
そのためには、僕が楽しく元気に、幸せに生きていないとダメです。
いくら稼いでも、心配させる息子では親孝行にならないと思ったんです。

それから、働くこと、人生、生きる意味を改めて考え直しました。

それまでの僕は意識高く、働きたくて仕方がない、稼ぎたくて仕方がない、新しいことに挑戦して極めてコンプレックスを乗り越えたい、そんな想いでフル回転していました。

しかしこの件から、むしろ働きたくない。死ぬほど働いても不幸になるという確信があってニートするならそっちのほうが賢いんじゃないか?とまで考えました。

でも働かず、無気力に生きているとそれはそれで、家族や周りに心配をかけるし、僕自身も楽しくない。

そしてようやく出した一つの結論は、自分のペースで働く事でした
昔はお金や成功ばかり追いかけてオーバーワークしていたけど、これからは自分のペースで、自分も含めた周りの人の”幸せ”を考えて生きよう、と。

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第2次、悶々期

– 大きな転機ですね。自分のやってきた事が間違っていたと認めるのは大きな挫折になると思います。その後どのように行動したんでしょうか?

この結論を出す頃には、立ち上げの1年がおわり、仕事も少し落ち着いていました。

グルーバーの社長には電話の件も含めて全て相談させて頂いていて、とても今でも感謝しています。
彼とは今でも色々な個人的な事から仕事の事まで、相談に乗ってもらえる関係が築けました。

少し話はそれますが、このような人生のメンター的な人を持てるかどうかは、今後の人生の豊かさを大きく左右すると思います。

話を戻します。
仕事は少し落ち着いていたのですが、相変わらず数字に追われ、前ほどではないとしても自分のペースで働く事が難しい環境でした。
業務内容もあれこれやっていたものの、中心は営業であり、自分の道と言える新規性の高い分野に取り組む事もできていませんでした。

そういう意味でこの期間は2度目の悶々期だったと言えます。

そんなわけで、転職も含めて次のキャリアを真剣に考えるようになりました。

転職してもやりたい事ができるとは限らない

– 転職活動はどんな感じで進んだんですか?

事業会社を始め、転職エージェントも使いながら受けました。
当然僕は、新規性の高い事業を任せてもらいたい事を伝えました。

しかし、面接を重ねる中で気づいたんです。
僕が持っている経験やスキルセットは、営業とネット広告です。

営業やネット広告担当者としてのポジションはあっても、新規事業の立ち上げのポジションはなかったわけですね。

自分の市場価値が分かり、少し落ち込みました。

確かに、会社の金を投資して立ち上げる事業に、中途で採用したその経験もない若造をいきなり抜擢できないですよね。

まだその会社における信用がまったくないわけですから。
しかも他の会社での新規事業立ち上げ経験もない。

そして、転職では僕の希望が叶えられない事が分かりました。

しかし、グルーバーの中であれば、僕にもその”信用”があると気づいたんです。

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念願の、新規事業を責任者として立ち上げ

– 転職をやめたということですか?

はい。
転職する代わりに、僕自身の実績があり、信用もある組織で新規事業をやらせてくれと頼む事にしたんです。

グルーバーの社長に直談判して、”僕が責任者として事業を立ち上げたい”と強く主張しました。
”河野は営業でずっと頑張って数字作ってくれたし、わかった。”と言って任せてくれる事が決まったんです。

そして社会人3年目に、僕が事業責任者として”Japan Made”を立ち上げました。

この時は女性の先輩が一緒に立ち上げてくれました。
新しく事業を立ち上げ、育てるのは物凄い努力が必要になります。
この大変な経験を共にした事で、彼女との信頼関係が超絶強化され、今でもその信頼関係は続いています。
このような大変な時期を助け合い、信頼し合える仲間ができる事も仕事の大きな醍醐味の一つだと思います。

ここでも、悶々とした時は、本当に自分がやりたい事を改めて見つめ直し、勇気を出して声をあげ、アクションする事を貫く事ができたおかげで今の僕があります。


#00:日本の伝統工芸を世界に。挫折を乗り越えた若手起業家の挑戦。
#01:将来の夢は金持ちになること。漠然と社長になりたかった。
#02:社名や規模は意味がない。就活はやりたい事を考え抜いた
#03:オプトで最初の挫折。やりたい事が出来ないときの対処法
#04:オプトでいきなり新規事業。ぼろぼろになって気づいた事
#05:ついに掴んだ、”自分の領域”
#06:選択肢を探せ。我慢するな。やりたい事を自分のペースで。