河野涼

#01:目標は金持ちになる事。漠然と社長になりたかった。

No.01 日本の伝統工芸を世界に。挫折を乗り越えた若手起業家の挑戦。

日本の伝統工芸を世界に発信するメディア、meets newを経営する若手起業家、河野さんのインタビューの#01です!
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サッカーに明け暮れた少年時代

– せっかくなので、生い立ちから経歴をお聞かせいただけますか?

え、生い立ちからですか。笑
長くなりますよ。

河野家のルーツが宮崎にあり、親戚一同が宮崎県在住であったため、僕も宮崎県で生まれました。
宮崎県にいたのは本当に幼少期だけで、その後は千葉県の八街市という街で育ちました。
言葉を選ばずに言えば、ど田舎ですね。

その後、小学校から高校まで、千葉県の公立学校を進学していく事になります。

– どんな少年だったんですか?

サッカーに夢中な、活発な少年時代でした。
どこにでもいる、普通の少年だったと思いますよ。

少し変わったところがあったとしたら、僕は昔から、所属しているコミュニティがイケていると自分で思えないと我慢できない性格だったことでしょうか。

周りから見た時、”河野のいるチームやクラスっていいよね”とか、”ちょっと違うよね”と思ってもらったり、自分でもそう思えるようにしたいという想いが強かったですね。

自分のいるコミュニティがイマイチだと思うと我慢できなかったですね。
それを”自分の力で良くしたい”といつも考えていました。
だから必然的にリーダー的な立ち位置になる事が多かったです。

リーダーでありたかったというより、イケてるコミュニティを作る手段としてリーダーを担っていた感覚です。

小学校ではサッカーチームのキャプテンを務めましたし、中学校では生徒会長も務めました。

自分で言うのはとっても恐縮なのですが、この頃は成績もオール5で、テストも学年1位。そして生徒会長でもあったので、内申点は理論上マックスだったんじゃないかと思います。笑

河野涼
河野涼|Ryo Kawano。明治大学商学部卒業後、新卒でオプト入社。社会人3年目の2016年には新事業としてJapan Madeを成功に導き、2018年に独立。現在はmeets newを経営。河野さんのTwitterはこちら

高校受験で大きな転機

– それだと高校はどこでもいけそうですね

僕は当時サッカー少年だったのでサッカーの強豪校に行きたかったんです。
私立に行って両親に負担をかけたくなかったですし、田舎って不思議な公立信仰があって、僕も公立の強豪校を目指しました。

当時千葉には特色化選抜という、なにか一芸があれば公立学校に入れる制度がありました。
僕はそのサッカー強豪校に、スポーツの特色化選抜枠でエントリーしたんです。
平たく言えばスポーツ推薦です。

結果的にそのサッカー強豪校へのスポーツ推薦は受からず、千葉県田舎部のそこそこの進学校に進みました。

– 高校ではどんな感じで過ごされたんですか?

小学校から中学校は公立の同じ学区内で進学したので、みんな知り合いという状態だった一方、高校では新しい顔ばかりで新鮮でした。

高校でも引き続きサッカーに熱中していましたね。
ただ、田舎の進学校にありがちな、文武両道を掲げる学校であったため、定期試験でちゃんと点数取れるくらいには勉強もしていました。

実は、そこそこの進学校に来たものの、当初は大学に進学する意思はあまりなかったんです。

というのも、中3くらいからずっと美容師に憧れていたんです。
妹のヘアアレンジをして遊んだりしており、将来は美容師になろうと思っていました。
理由はあまり良く覚えていないんですが、なんとなくかっこいいなと思っていたんです。

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社長≒稼ぎ頭になる決意

– 結果的に大学に進まれるわけですが、どのような心境の変化があったのでしょう?

これは僕にとって大きなターニングポイントだったのですが、両親が離婚したんです。
中3くらいから家庭内別居状態だったのですが、高校生の時に正式に離婚しました。

その時僕が考えた事は、”僕が稼ぎ頭にならなければいけない”ということでした。
しかし、美容師では、ごく一部のカリスマにでもならなければたくさん稼ぐことは難しいと考えました。

そこからですね。大学を意識したのは。
漠然と金を稼げる仕事…。そうだ”社長だ!”って感じでした。

今思えばメチャクチャ短絡的ですね。笑
でも当時、僕は本気で”メガバンクにいって社長になる!”って宣言してたんですよ。

メガバンクにいけば社長になれるとか、ロジックめちゃくちゃですが、金に関係あることをやって社長なるんだと考えていました。

そのくらい無知でしたね。
今の東京の高校生はすごいと思いますよ。

何れにせよ、大学に進学した方が、稼ぎ頭として家族にお金で不自由しない環境をつくる上で近道だと思ったんです。
それで大学を目指す事にしました。

大学はビジネスを学ぶために進んだ

– 大学はどうやって決めたんですか?

実は結構直感的に決めたんです。

僕はサッカーに熱中していたので、高校総体が8月に終わってから、やっと勉強のための時間を作れるようになりました。

そして、初めてオープンキャンパスで明治大学を訪れた時、都心なのに新しくてでかいキャンパスを見て、とても感動したんです。
その時の感動がもとで、明治大学を志望する事に決めました。

当時は定期試験対策しか勉強したことがなかったので、予備校に入ることにしました。
すでに夏だったので夏期講習からはじめました。

しかし、はじめに入った某予備校は浪人生が多く、自習室で喋っていたり、うるさくてあまり勉強しやすい環境じゃなかったんです。

それもあってあまり勉強に身が入らず、12月から予備校を変えて本格的に勉強に力を入れました。

途中から早稲田志望だったのですが、最終的に元々志望していた明治大学に進学する事になりました。

社長というか、ビジネスで稼ぐ基礎を作りに大学に行くつもりだったので、商学部、経営学部に絞って受けていました。

ぼんやりとではありますが、大学でやりたい事は明確になっていましたね。
大学の名前で選ぶよりも、やりたい事ベースで、学部や学科から大学を考える事も、自分と向き合い、意思決定をするという点では重要だと思います。


#00:日本の伝統工芸を世界に。挫折を乗り越えた若手起業家の挑戦。
#01:将来の夢は金持ちになること。漠然と社長になりたかった。
#02:社名や規模は意味がない。就活はやりたい事を考え抜いた
#03:オプトで最初の挫折。やりたい事が出来ないときの対処法
#04:オプトでいきなり新規事業。ぼろぼろになって気づいた事
#05:ついに掴んだ、”自分の領域”
#06:選択肢を探せ。我慢するな。やりたい事を自分のペースで。